
弱虫ペダルの作者である渡辺航先生は、毎年盆に自走でブログにあげながら帰省されおり、今年は富山からスタートして神戸からフェリーで新門司港に着き、九州を横断してハウステンボスがゴールの5日間で880kmを走る自転車旅、「ツールド夏休み2019」をされた。そこでハウステンボスから自宅へ自走される際にご一緒させていただき、前職の宿が劇場版弱虫ペダルの主人公チームの合宿先ということから、全国各地から訪ねて来られるファンの方と4年間接して感じたことをお話しすることができた。
熊本を舞台にした「劇場版弱虫ペダル」とのきっかけは、アニメ制作会社トムス・エンタテインメントの伊藤元気さんから届いた1通のメールから始まった。前職の旅館を主人公チームが泊まる宿にしたいのでその取材の件と、熊本城をスタートしてゴールは牧ノ戸峠と渡辺先生が決められていたのでその間のコースについて尋ねられた。
コースについては吉田線で阿蘇山へ上り坊中線から212号、ミルクロード、やまなみハイウェイ、牧ノ戸峠ゴールというコースをお話した。わたしからは日の出には感動的な景色となる特別の思いの「ラピュタ(狩尾峠)」を是非とも取り入れて欲しいと紹介したら、すでに先生はご存知のようだった。ただ、道が狭く下りはたいへん危険なので、レースコースには出来ないので感動的なシーンにと話したら、これもすでに想定されていたようだった。
映画用に撮られたのが秋も終わりでラピュタの草原は枯野になっており、映像を見られた渡辺先生は「真夏の青々としたものが欲しい」と聞いて、山肌を覆う草原がまるで生き物のように風になびく景色を求められていると思い、地元テレビ曲から撮ってもらったラピュタを上る自分の動画を送ると、「たいへん参考なった」とお聞きした。
映画公開の2週間前に日刊スポーツからタブロイド判で「弱虫ペダル新聞」が発刊された。劇場版弱虫ペダルの情報が満載された初の専門誌には二つの劇中のコースが大きく見開きで紹介され、その担当として取材に来られた現在Cyclist編集長の澤野健太さんと打ち合わせ、熊本にファンの方が来られた際に周遊できるよう自転車に関係する立ち寄りスポットを紹介した。なかでも自転車御守りで知られる「浮島神社」さんにはファンの方もよく足を運ばれたようだった。

2015年8月28日に「劇場版弱虫ペダル」が全国の映画館で上映されると、トムス・エンターテインメント伊藤さんから、「お宿にもかなりの反響があるかも知れませんよ」と言われた。確認用に頂いたDVDの絵コンテには館内がリアルに出ており、これがそのまま映画になっていたらまさにそうだと思った。公開後しばらくすると、次から次に玄関の暖簾の前で写真を撮る人たちが増えて、阿蘇のアニメツーリズムの狼煙となった。
実際に映画を見にいったら、宿が隅々までスクリーンに映し出され、カメラで撮られた映像がそのままアニメに変換されてそこに人物が描写されていた。早朝のラピュタは、自転車で来られるお客さんに案内していたコースの通りだった。玄関を静かに出る細やかなところや、わたしが何十回も走った風景がそのままで鳥肌が立つ感動だった。
いよいよ日の出の出会いのシーンを迎えると、ストーリーというよりも、朝陽に照らされる黄金色の雲海、爽やかな風、草原の匂い、しっとりした空気感までがリアル過ぎて、これを多くの人が見るんだと思うと涙がこぼれ、隣のいる家内に隠すのが精一杯だった。
「行けばどうにかなる、行かなければ何も始まらない」を合言葉に、阿蘇駅には輪行で訪れたジャージ姿の若い女性が、好きなキャラクターが乗る買ったばかりの自転車を組み立てるという珍しい光景が見受けられるようになった。自転車で来られた方の絶対の目的は、「日の出にラピュタに行く!」 ことだったので手書きの地図を作ってあげた。東京や大阪から苦労して来られて、「日の出に間に合わない、迷わってしまった」と、いう悲劇がないよう信号も街灯も無い真っ暗な道のため念入りに徹底して教えてあげた。脳内ホルモン全開の一般のファンの方も続々と阿蘇を訪れるようになり、レンタカーやタクシーでラピュタを上から眺めた風景がSNSで拡散していったようだった。そして宿では弱虫ペダルファンが新たな顧客層となっていった。劇場公開から4年経った現在も阿蘇に来られるファンの方はまだまだ続いているようだ。

こうして全国から来られる現実からトリップしたような熱烈なファンの方が宿の日常になり、まさに聖地巡礼のように何度も来られる方も増えていった。映画のエンドロールに宿名と「コルナゴ部長」の名があったので、わたしも尋ねられるようになり、劇中のシーンに出てくる館内の案内や、コースの行き方など、パンクするほどの思いで来られる方の夢を少しでも叶えてあがられるようにした。
そうしたことが「宿の人」と「お客さん」という立場を超えて気軽にお話できるようになった。そこで解ったのが、若い女性がいきなり高価なロードバイクを買うことや、好みのキャラクターが来ているジャージやグッズを身に付け、遠くから飛行機や新幹線、若い方には安くもない宿泊費まで払って来られる理由は、単に熱烈なファンの聖地巡礼や、SNSで友人と知り合って盛り上がるということだけではなく、弱虫ペダルをきっかけに、「やれば出来る」、「夢に挑戦する」、「負けても次のステージがある」、という自分の生き方に対して学んだ方が多くいらしたことだった。

2017年ツール・ド・フランス第1ステージのデュセルドルフにてドイツ人ファンとYUKOさん
例えばYUKOさんは弱虫ペダルをきっかけに、自分への挑戦に目覚め、仕事を辞めて語学留学し、卒業後は英国にしばらく滞在して欧州を周遊したり、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアの観戦に帰国後の現在も行かれている。宿の最後の日の会った方は電動バイクに乗り換えて乗鞍の上位に入賞されるようにもなられた。

劇場公開の2015年だったか、YUKOさんは友達4~5人のグループで宿に来られた。申込みをされた方とお話したら、「YUKOは弱ペダに影響されて英国の学校に行くことになって、それで送別会を兼ねて来たんだよ・・・・」
そして、2年後のこの日は英国を前日に経ち、2017年100回記念大会のジロ・デ・イタリア最終日にミラノでYUKOさんと再会することになった。アニメってそんな力があるのかと思い知らされた日だった。

このようなわたしが体験した「劇場版弱虫ペダル」がファンに与えた影響を渡辺航先生に直接伝えたかった。そして、自転車仲間の力添えで、一緒に走り、お話しする機会を得て、夢がやっと叶った。
劇場版弱虫ペダルは自然災害で苦しんだ阿蘇への応援にもなりそれは現在も続いている。ファンの方には、昨今の生き方のマニュアル化に対するしなやかな抵抗のような勇気と、自信と、自立を与えたことに、アニメの絶大なる効果に驚かされた。このことをお伝えてすることが出来て、「コルナゴ部長」としての役目がやっと終わったような気がする。そして、今のわたしも多くのファンのみなさんと接して、挑戦することを学んだ。
2016年4月の熊本震災、10月には阿蘇山の水蒸気噴火で阿蘇は大きなダメージを受けた。そのため夢に描いていた2017年の100回記念大会となるジロ・デ・イタリアの観戦を諦めようとブログに愚痴ったらYUKOさんから「コルナゴ部長らしくない!」の一言で目覚めた。このことは後半折返しの自分の人生に大きな影響となって感謝している。
渡辺航先生、お会いした弱虫ペダルファンの皆様、ありがとうございました、弱ペダ万歳、万々歳なのである。

2012年ヘリより撮影(協力 カルキフーズ)
最後にこれからのラピュタについて一言。
お会いしたみなさんが絶対に行きたいところはラピュタだったが、誰にとっても現実離れした特別な絶景スポットに違いはない。
阿蘇北外輪山の断崖を縫う峠道はまさに「天空の道」の名の通りである。この峠道を初めて知ったのは2010年の夏の終りだった。ひとりでミルクロードを走っていたら降り口を見つけ突端に行くとその絶景にしばらく見惚れていた。それから朝夕何度も通った。そのことをブログで紹介したら「ラピュタの道」と教えてくれた方がいた。バイクの人たちには知る人ぞ知る峠道のようだった。だから当然ながらわたしが発見者でも、名付けた道でもないけど、ブログの中では徐々に盛り上がっていった。
早朝の日の出の時が一番の見所だ。雲海が出ていなくても朝霧とオレンジの空の対比は素晴らしかった。映画では阿蘇五岳が雲海に浮かぶ日の出というラピュタの象徴的なシーンになった。それは幻想的で、神々しく、涙を浮かべる人もいた。現在は熊本震災以降、立入禁止のままだが、将来において自転車で上るという考えから、上から眺める、もしくは登山道のようなものが出来れば歩いて登るということが出来るようになれば思う。痛々しく傷ついても、崩れず、踏ん張っている勇姿を、是非もう一度見せてあげたいものだ。
その現実的なひとつの考えとして、8月21日から11月24日まで「
阿蘇シェアバイク導入実証事業」という電動アシスト自転車(e-bike)に無料で乗ることができるサービスが行われ、将来的には有償の観光サービスにつながることを目的としている。これが導入されれば、坂道が苦手な方も早朝のラピュタにも気軽に行くことができる。
8月18日にe-bikeの試乗会がありガイドとして年配の方からお子さんまで案内してきたが、参加された方全員が気軽に乗れて驚くほどのパワーに感動されていた。自転車に乗れさえするなら阿蘇駅からラピュタまで往復することも余裕である。現在e-bikeは阿蘇駅を含め阿蘇市内4箇所で借りることができるので実証期間中是非試していただきたい。
「阿蘇に来たらこんなのがあった・・」ではなく、「これに乗って日の出のラピュタを見に行くんだ!」という阿蘇に来るための明確な目的になる。だから上から眺められるようになれば思う。

2010年最初にラピュタに出会った頃、とても若々しい。

2012年3月
野焼きの後、春の阿蘇の風物詩・・・
のどかな風景だったが
この年の7月、九州北部豪雨に襲われ・・・

麓から歩いて行ったが
もうだめだろうと思った・・・

2013年5月、農耕車も通るようになって
またいつものラピュタに復活
この道は農家の方が草原で刈った草を
麓に下ろしたりする農耕車両が通るのが目的なので
道は荒れ、離合もままならない山道
なので自転車は上りだけで、下りは危険ゆえ厳禁
農耕車両が来たら道脇に降りて通過させることなど
言ってきたが・・・

ここを紹介したまさかの観光パンフレットが
20万部とか大量に配布された・・・
当然、クルマが上から下から押し寄せ
離合できない道でクルマが立ち往生する光景や
側溝に脱輪するレンタカー
この道の優先車両である農耕車に支障をきたした

日の出を見に行くと
いつもは誰もいないラピュタが・・・

朝5時だというのにこの人だかり
クルマで来た人はミルクロードに停め
朝から渋滞するようになり
日曜には警備の人が出るようになった
そして、ついに農耕車以外
『立入禁止』 になってしまった

2016年4月15日熊本地震の翌日
ラピュタが終わった。

2016年7月 余震や風雨で崩壊が続いている

地震直後に撮ったラピュタの写真を
スマホで見ながら書いていただいた
ラピュタのことは
もう終わったと封印していたが
この貴重な色紙を見たら
今までのことを反省しながら
また見れるようになればと
これまでの経緯と自分の気持ちを書いた

過去から未来へ、ペダルを回そう。

小野田君がラピュタを見たのは2015年夏
また、見せてあげたいんだな。
FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2019/08/29(木) 10:33:16|
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