
熊本地震の3日前にも来られた徳島のFさんは、友人の方と阿蘇と山口の角島を走りにプリウスに自転車3台を乗せて来られた。着かれた日はあか牛丼を食べて阿蘇神社方面をサイクリング、夕食の後は屋上のルーフトップバーで盛り上がった様子。翌朝は4時30分から212号でミルクロードに上り40キロの早朝ライドを愉しまれた。雲海は出なかったものの、静寂とした阿蘇平野には朝霧が立ち込め、神秘的な光景を目の当たりにされたようだった。宿のアンケートには「次は箱石峠を目指します」と書かれていたが、弱虫ペダルの今後のストーリーを想像すると、最終的にはツールやジロに出ることになるのかも知れない。そうなると阿蘇の峠を走ることが目標だったファンの方は、海を渡り、欧州の有名な峠を目指すのだろうか。サイクルスポーツがこのように若い女性にも受け行けられ、海外への個人旅行も安く行けるようになった。語学力のレベルも上がり、スマホでの多言語会話も容易になった今日、それは現実となっても不思議ではないと思う。また、日本のアニメ文化が全世界に浸透し、輸出商品となっていることを考えると弱虫ペダルファンの方は大歓迎されるのではないかとも想像する。

明日から100周年記念大会となるジロ・デ・イタリアに友人2名とネイルも気合満点の友子さんの4人で行ってくる。
人生最初で最後の記念すべき大会であることもだが、そもそもコルナゴ云々と名乗っていながらイタリアの地に足を踏み入れたこともないのは如何のものか、そのようなこともあって前々から密やな希望をあたためていた。
しかし、震災復興にはまだ遠い現状と、ジロ観戦ツアーが販売された際の高額な旅行費用に一端は諦めた。そこに一通のメールが届いた。一度友人の方と来られた弱虫ペダルファンの女性の方で宿に来られてすぐに渡英しロンドンで語学の勉強をされいるYさんからだった。わたしがジロの100回大会に行きたいといっていたことから、ならばどこかの峠で会いましょうという内容だった。
若い女性がひとりで渡英し、自分で決めた2年後のゴールを目指されている。同年代の頃、わたしには到底そんな勇気も目標も無かった。自分に欠けているピースは今でもそれだと後悔している。そこに生き生きと書かれたYさんのメールを見ながら深く感じ入りジロ観戦を決めた。そしてYさんとはモンテグラッパか、最終日のドゥオーモ広場のゴールでお会いするようにしている。弱虫ペダルの漫画から始まり、劇場公開で宿が宿舎になり蘇山郷にお越しになった。それが縁で海を渡って自転車の聖地たるイタリアで再会するとは、弱虫ペダルの将来の行く末もまんざら空想だけの話ではないように思う。
5月21日 19:50 pmミラノ・マルペンサ空港着
5月22日 ジロ休養日にてボルミオに移動し足慣らしのサイクリング
5月23日 第16ステージ Rovetta - Bormio ステルヴィオ峠で観戦
5月24日 第17ステージ Tirano - Canazei スタート地点付近で観戦
5月25日 第18ステージ Moena - Val Gardena ポルドイ峠等で観戦
5月26日 第19ステージ San Candido - Piancavallo ドロミテサイクリング
5月27日 第20ステージ Pordenone - Asisgo ゴール手前の峠で観戦
5月28日 第21ステージ Monza-Milano 28km 個人TT ゴール地点で観戦
5月29日 9:40am ミラノ・マルペンサ空港発
5月30日 早朝羽田着

今、Yさんからメールが届いて一足早く第1ステージと第3ステージを見にサルデーニャー入りし写真が届いた。






FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2017/05/20(土) 17:28:50|
- ロードバイク
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0