コルナゴ部長の阿蘇天空の旅

阿蘇くじゅう国立公園に位置する阿蘇内牧温泉からロードバイクで走るの魅力を紹介します。

記憶を辿る愉しみ

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暗い朝はまだ走っておらず、休みの日の9時半10時から山に走りに行っている。毎朝暗いうちに目覚め一瞬自転車に目がとまるが、まだ心は動かず愛犬を膝に乗せ新聞を開いている。しかし、走るときは100キロ、全力が目標。

ここのところ定番コースとなっている八方ヶ岳林道に行ってきた。矢谷渓谷から林道に入り、キャンプ場を抜け登山口を過ぎ薄暗い樹木が覆う道を上ったり下ったりしていると、やがて山が開けて陽が射す里山の懐かしい風景となり50年はタイムスリップした山の神の集落に着く。八方ヶ岳のカニ岩を背に山々が見渡せるポイントはいつ来ても和むことが出来る。

林道をどんどん進んでいると、また開けたとろこに椎茸のボタ木が並べてあり写真を撮っていると、すれ違った軽トラックおじさんと話し込むことになった。84歳、この当たりの山の地主。趣味はイノシシの罠猟。今期は24頭獲って大きいのは80キロを超えていたと自慢しながらタバコに火を点けられた。おじさんはこの道の先で猟犬で追うイノシシ猟をしているが、自分はひとりでする罠猟が性に合っているそうだ。この時期のイノシシは、シイやドングリ、クズやヤマノイモなどの根などを餌としているが、奥山の雑木山をどんどん切り開いてヒノキやスギの植林になったものだから餌がなくなり里へ下りて農作物も荒らすようになってしまった。「害獣」指定とになったイノシシは駆除の対象となり長期に渡り狩猟されている。「猟は面白い、終わってからの焼酎も旨くて唯一の楽しみだ」と話してゆっくりと山を見渡しながら下って行かれた。お陰で体がすっかり冷えてしまったが、山の地主と知り合いになることができて良かった。田舎は知り合いになることがとてもとても大切なことだ。

脱いでいたウィンドブレーカーを着て走り始めると、おじさんが言っていたイノシシ猟に出くわした。まずは獲物を追う猟犬の遠吠えが聞こえ、しばらく行くと谷に向けて猟銃を構え座り込むおじさん。その先にも要所に猟銃を手にするおじさん達が数名、おじさんたちはかなりの年配でこれだけの人に囲まれるとイノシシに間違われて撃たれぬよう目立つ色のウィンドブレーカーで良かった思った。ときどきニュースに山菜採りの人が獲物に間違われて撃たれる事件があるが、緊張感漂うこの状況で藪の中でゴソゴソしてたら撃たれてもおかしくは無い、山では派手な目立つ服を着るべきであると猟犬の声が近づく林道を逃げるように走りなら思った。イノシシを撃つときは散弾銃で玉はバラ玉ではなく一発で仕留めるスラッグ弾(ひとつ玉)だから当たったらひとたまりもない。


イノシシ猟の区間を抜け猟犬の声も聞こえなくなり、アップダウンが連続する走りごたえ十分の林道サイクリングを愉しんだ。菊池市に入りしばらく走っていると通行止めの看板があり試しにどの程度の状況か進んでみると法面工事の現場だった。崖の上には重機が並び、泥や岩の山が道を塞いでいた。強引にかついで泥だらけになれば行けたかもしれないが、通行止は通行止は、今来た道数キロを引き返した。やがて麓に続くセメント道の迂回路があり下る。かなり急な坂を慎重に行くとやがて民家が見えてきた。そこは「あれっー」とびっくり、我が家から5キロほどの菊池市竜門の白木の集落だった。さっきまで臆病なわたしは山深い木々に覆われたところをビクビクしながら走っていたのに、一気に平穏な世界に戻って緊張感が抜けてしまった。








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竜門ダムまで上って水の道から国道にて出て隊道トンネルから伊牟田の集落を抜け菊池人吉広域林道を走った。クルマもなく快適なコースだがここもアップダウンが微妙で懸命に走ると足が攣りそうになってくる。心肺筋力とも気持ちに届かず、急な坂になるとスローモーションのようになってしまうが、今日の一歩は必ず明日へ繋がると信じ顔を歪めて走り、四季の里から下って家路に。ジャスト100キロ、5時間半も掛かって林道2本終了。今の時期の山は椎茸用のボタ木としてクヌギの伐採や、スギやヒノキの
伐採のシーズンでもあるので、木に遮られて見えなかった新たな景色を目にすることができる。






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昨夜は宿の館主と自転車関連の方と三人で熊本市内で会食をした。どこにしようかと相談されたがほとんど阿蘇にいるので思いつかず、熊本名物はもう何度もとの返事もあり、男三人でコース料理もあり得ないし・・・さて、
前職のとき板前が入れ替わった際に料理を変えようと評判の良い食事処や旅館・ホテルを新しい料理長と一緒に食べ歩いたことがあった。その最初に行ったのが熊本市内の「串揚げ楯己」、客室でお座敷串揚げをするため参考にさせてもらい、以後試行錯誤しながら評判を得ることができた。そんなことを思い出し行ってみたら手塚治虫風のベレー帽の方も当時のまま、サプライズ的な雰囲気とトークも昔のままで味もよくゆっくり会食を愉しむことができた。







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揚げあがったら五種類の相性のいいタレの上に置いてくれるから迷わず食べることが出来る。








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最後の一品が終わると、追加としてアスパラガスと菊池水田ごぼうの紹介があって、それがまた注文しない人はいないだろうというくらい上手でまたまた食欲が湧いてきた。味の方は抜群に美味しかったのは言うまでもない。

ここで三人それぞれ分かれわたしは電鉄バスで帰った。何年振りだろう、乗客は高校生がほとんどで全員がスマホ中。各駅で停車し花房の坂を下るときには一人になった。菊池平野側を覆っていた桜や杉を低く選定してあり素晴らしい夜景を見ることができた。確かに隠れていた風景を見せるとより魅力ある景観となる。ななつ星in九州の運行が決まり大分-由布院間などの通勤・通学主体の路線沿線で竹や木が切られきれいになった。普通列車の車窓からの風景が新たな観光資源に加わったということもあるが、まさに花房の坂も徳富蘆花の「思出の記」で喩えられている弁当箱の底のような菊池平野を見ることが出来るようになっていた。まさに僕の揺籃(オルゴール)だ。

1946年5月、先の大戦で4年振りに南方の戦線から復員した父が、花房から見た菊池の景色を見て、「やっと生きて故郷に帰って来たんだと体中が震えた」と何度も聞いた。昔ながらの遮らない景色に保ってゆくことは地元の人にとっても大切なことである。

菊池駅到着、今は菊池プラザと何とも品のない名前になってしまった。家内に迎えの電話するとすでに娘と飲んだのでタクシーで帰ってと言われたが歩いて帰った。昼間の街並みと違い余計なものが見えなくて菊池高校生時代に夜間脱走して友達の家に遊びに行ってた頃を想い出した。引き締まった冷気が心地よい。「ゆべし本舗 泉屋」は無かった。「中原松月堂」の交差点を曲がりすでに店をたたんだ看板を見ながら40年前にタイムスリップしたような気分になった。「三木誠文堂」があった先を右折し正院町に入り、「藤吉ふすま店」には家の明かりが見えた。家内がのっぺい汁をするときに必ず必要という「廣田かまぼこ店」も健在のようだった。迫食料品店を左に曲がって木村燃料店の路地を見ると昔はもっと長かったように思えた。三苫理容店の前の路地から先は、長屋みたいな古びた家屋があって子供が多く活気あるところだった。腕白だったわたしもよく悪さをしながらここの仲間と遊んでいた。そんな記憶が蘇らせながら家に着いた。部屋のドアを開けると頬を赤くした笑顔の家内と娘がいた。まるで当時を見ているようで思わず笑ってしまった。







FLUCTUAT NEC MERGITUR 
--- 漂えど沈まず ---



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  1. 2016/02/10(水) 18:52:00|
  2. ロードバイク
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阿蘇内牧温泉の温泉旅館から欧州の山岳コースを彷彿させる阿蘇サイクリングの愉しみ方を紹介しています。

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