コルナゴ部長の阿蘇天空の旅

阿蘇くじゅう国立公園に位置する阿蘇内牧温泉からロードバイクで走るの魅力を紹介します。

80年前のこと

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雨が降り阿蘇山には霧が立ちこめた憂鬱な日が続く。
80年前、与謝野寛 晶子夫妻が阿蘇に来られた際にも同じような天候だったようだ。そのときも台風の影響で阿蘇登山もロープウェイ乗場までで火口へは行けず早々に引き返し宿で過ごされのではなかろうか。ということで当時を振り返ってみる。

まずは近藤晉平著「寛と晶子 九州の知友たち」より九州における与謝野寛 晶子夫妻の足跡を辿り阿蘇内牧温泉に来られた経緯を紹介する。
二人で最後に九州を旅行されたのは昭和7年(1932)だった。
この時、寛氏59歳・晶子さんは53才、それに六女の女学校に通う末娘の藤子さんを伴っての旅だった。7月31日に東京を発ち8月1日別府に到着、以後二人とも国文学講習会の講師を務め、8月11日豊肥線の列車で別府から阿蘇へ来られた。

阿蘇は二人にとって格別の思い出があったのではないかと著者は推測されている。
「寛には、明治40年(1907)弟子の北原白秋・平野萬里・木下杢太朗(太田正雄)・吉井勇らと福岡から天草へ、いわゆる「五足の靴」の旅をした際に阿蘇へ登った若い日の思い出があり、晶子は大正7年(1918)の福岡・熊本・長崎へ寛と共に旅行した際に阿蘇へ行って麓の阿蘇神社を参拝した後、戸下温泉で一泊しただけで頂上へは登っていないので夫が若いころに歩いた場所を自分も体験してみたいと思っていたのかもしれない」

二人は坊中駅(現 阿蘇駅)で降り熊本県庁の車で阿蘇山の中岳へ向かわれた。
しかし、台風の影響で霧が深く山頂まで行けず、念願の山頂の噴火口を見ることなく下山し当館に一泊された。

このときのことを『冬柏』に晶子さんが記されている。
・・・「波野駅へ来ると、熊本から後藤是山氏が再び来て待受られ、共に乗って坊中駅へ下りました。此処は既に阿蘇の外輪山の内部です。町村長達が出迎へられて居ました。熊本県庁の国立公園課から東道の吏員と共に自動車を差回されていたので、其れに乗って直ぐに噴火口のある中岳へ向ひました。二十五年前に良人が木下杢太朗、平野萬里、北原白秋、吉井勇諸氏と登山し、十四年前に私が良人と共に宮地まで来た時とちがひ、今は完全な自動車道路が開けているのですが、今日は霧と雨が降っていて、全く展望が遮られ、しばしば七尺の先さへ見えなくなる有様なので、町長達の自動車は途中で危険だと云って引返されたにも関らず、私達は山に精通している吏員の方と運転手とを信頼し、行かれる所まで行こうと云って、終に山上の茶屋にまで達しました。今日は一人の登山者も無く、どの茶屋も戸を鎖していました。茶屋に休んでいると、濃霧が下から風に吹き巻かれて奔騰し、急雨が其れに白い銀線を斜めに入れています。是れでは三町先の噴火口へは行かれないと云うので断念しました。茶屋では中島夫人が竹田から携へられた煎餅を手づから焼いてお茶菓子に出されました。」・・・

※七尺は約2.1m 三町は約327m 山上の茶屋は現在の阿蘇山西駅・ロープウェイ乗場

お泊りになられた昭和7年当時、蘇山郷はまだ旅館ではなく現経営者の曽祖父の自宅であり昭和29年に旅館として創業した。当時の主の永田巳平は、知人から与謝野夫妻が阿蘇に来られるので宿泊させて欲しいと依頼をされたが、個人の家に高名な歌人夫婦を泊めるにはあまりにも不相応と苦慮した。
その時たまたま部屋を新築中だったがまだ畳が入っておらず、急きょ完成を急ぎ出来上がった部屋が内牧城趾の大杉で建てられた自宅の座敷である「杉の間」になる。

主のもてなしにいたく感動し、杉の香の漂うゆったりとした部屋で二人は心ゆくまで旅の疲れを癒し、阿蘇山頂へ登れなかった心残りも窓から見える雄大な阿蘇五岳の眺めに十分満足されたことだろう。

床の間には寛氏と晶子さんの自筆歌幅がある。

大いなるひと木の杉を阿蘇に斫り君がつくれる萬年の家   寛
いとひろく山の夕映入りてきぬ阿蘇氏びとの軒たかき家   晶子
                        (与謝野寛・晶子自筆歌幅) 
  
また、宿から眺めた阿蘇山や大観峰の景観に感動して歌をつくり、たんざくと色紙に書いて同宅に残され、その後30年を記念して庭に歌碑が建立された。
歌碑は阿蘇の自然石二つににイタリア産の大理石に歌が刻まれている。

大きい方に与謝野寛氏の、
「霧の色ひときは黒しかの空に ありて煙るか阿蘇の頂」

小さい方に晶子さんの、(与謝野晶子自筆色紙)
「うす霧や大観峰によりそひて 朝がほのさく阿蘇の山荘」の歌があり、その時の阿蘇は濃霧におおわれていたため夫妻の歌にも霧が印象強く詠われている。

ここ杉の間は建物や内装など一切手を加えず当時のまま残っている。






























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今日と同じく廊下の庭越しに霧に煙る阿蘇を眺められたのだろう。





























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文壇でも有名な方だったので蘇山郷に泊まられた際にもとっておきのご馳走を振舞われたはず、ならばどんな献立だったのか興味があるところ。宿には古い資料が数多く残っているので何かヒントになるものを捜せだせないだろうか。せっかくここにいるのだから歴史に基づく当時のご馳走を再現してみたいものである。













Festina Lente - 悠々として急げ



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  1. 2013/06/21(金) 17:28:27|
  2. 宿のこと
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阿蘇内牧温泉の温泉旅館から欧州の山岳コースを彷彿させる阿蘇サイクリングの愉しみ方を紹介しています。

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