コルナゴ部長の阿蘇天空の旅

阿蘇くじゅう国立公園に位置する阿蘇内牧温泉からロードバイクで走るの魅力を紹介します。

別れとなる野焼き 其の二

19日家内の父が亡くなった。
大病を患い回復に向かっていたが今年に入り重苦しい体調になり先月余命宣告を義兄より知らされた。私たちは悩んだあげく本人にも告知することにした。それは残された寿命が1ヶ月、長くとも3ヶ月という無念の事実だった。これから何をすればよいか途切れる人生に呆然としながらも深く考え最後の自宅療養をし、その後ホスピスで幕を閉じる手続くをしている最中だった。

日を追うごとに自分の定位置の座椅子から徐々に動けなくなり酸素吸入が必要になってきた。私は本人と母の三人で最後の約束を話した。幸せ路線のレール上にある我が家の行く末と、人生半ば折り返したあなたの娘の笑顔をこれからも絶やさない旨の話に涙して喜んでくれた。

担当医より今後薬で意識がうすくなることを聞かされていたので、まだ明晰なうちに自分史を書くことを薦めた。父は当然ながら短過ぎる余命に絶望しているときだったので、子や孫に自分の歴史を文章によって伝えることに理解を示し、残された日々を充実し過ごすという生きる目的を考えたようだった。

三日後、父のために買った自分史のガイド本を渡しに自宅に行くとすでに本を読める状態は終わっていた。その後体調が急変し14日に救急車で6年来の病院に運ばれた。苦しさをやわらげるためのモルヒネで意識は遠のき回復の道はすべて閉ざされ死を待つことを家族は知った。

16日病院を訪ね明日阿蘇の野焼きに行くことを話した。野焼きをする理由や、野焼きに対する私の思いは以前より話しをしていた。家内と共通の趣味であるロードバイクが阿蘇の自然によって支えられ、それによって仲良く暮らしていることを知っていたのでたいそう喜んでくれた。父の県職員時代、農業畑の一貫した現場主義だったので現地の人との交流できる今回のことに大きな理解を示してくれていた。

このとき野焼きの煙が父の病室から見えるかも知れないと嘘をついた。この機に及び生きる目的を持ってもらうことなら何でもいいと思い煙の方角を指差すと「そうか、ここから見えるのか」と鼻に入れた酸素吸入のチューブの不自由な顔が笑っていた。

19日早朝、家内と交代で付き添っていた義姉より危篤の一報があり渋滞のバイパスに焦りながらも病院に着くと、すでに状況は一変し酸素マスク越しの「ハッ、ハッ」と浅い小さな息になっていた。まぶたを閉じながらも懸命に生きろうとしていのか、それとも衰え行く自身の体の変化を受け入れているのか。声掛けるも反応はない。でも聞こえているはずと「お父さん、今着いたよ!」と家内と耳元に話しかけた。手を握ると指先は紫色でやや冷めたくなっていた。思いもよらぬ近づく死の予告に家内は泣き出した。父の息のリズムが段々と、段々と遅くなり弱くなっていった。でも何とかそれを止まらせたいと先に着いていた義兄と4人で泣きながら「大丈夫だよ」とそんな言葉しか思い浮かばないものの懸命に父を応援した。

別室のモニターで状態を見ていたのだろう今と判断されたのか担当医が入室された。「今お父さんの状態は弱った浅い呼吸により二酸化炭素が体から排出されず二酸化炭素中毒の朦朧した状態で痛みや苦しみは全くありません」と話された。そのまま立ち去ろうとせず「待つ」ような素振りでいくばくかの命であることがわかった。

数分後、かすかに聞こえていた息が途絶え病室が静まった。同時に家内と義姉が父に寄り添い嗚咽した。担当医がまぶたを開き胸に聴診器を当てしばらく手が止まると時計代わりの携帯を開き「8時45分ご臨終です」とよく聞く台詞をつぶやくように言われた。四人とも同時にぐしゃぐしゃに泣き叫んだ。生まれて始めの身内の死に直面し涙が溢れた。義理の父の終焉。私の二人目の父の最後を看取った。

その日、葬儀場で家族だけの通夜、以後通例に従いすべてが坦々と執り行われ最後の別れが終わった。
今日21日に3日振りに葬儀場から我が家に帰ってきた。
17日の野焼きのことは午前の部で止まったままになっていたが亡くなった父もそれは望まないだろう。もしかしたら病床で野焼きの煙を見たのかも知れない。そんな期待とともに父宛に午後の部を記す。

























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初めての野焼きの感想は受け継がれる古来の伝統的なルールで成り立っていると響いた。家族や親戚のような人々が、代々受け継がれるボーダーラインの原野や山の斜面を、阿吽の呼吸で枯れ野を焼き払う術は何から何まで驚きと共に感心させられた。

























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危険と隣り合わせゆえの野焼きは、怪我人はおろか死者まで覚悟の上と知ったのは最近のこと。その地の人々にはなくてはならない年行事は紀元前からの自然崇拝による阿蘇の厳しい自然に対する尊厳のようにも感じた。

























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午前の部のミルクロード向かいの野焼きでは「今年はよく焼けた」と皆が口を揃える。草の伸び具合や乾燥や風など幾多の自然条件が重なりうまく焼けたのだろう。




























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焼け野に白く残るのは放牧の牛の糞






























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牧草を機械で狩りそのままビニールに包まれ自然発酵すると牛の飼料となりこのような専用農機で運ぶ。



























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この地は狩尾牧野組合が管理する広大な土地で、牧野組合が牛を飼い、牧野組合の牧場や牧野組合の農機で牛を育て、牧野組合が人を雇っていた。



























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草原で昼食後狩尾峠を下り枯野の最下点に集合する。

誰が指示するわけでなく整然と軽トラックが並んでゆく。


























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車を降り険しい岩だらけの山道を登る。1区の後ろに2区の我々が陣取り、まずは1区が火を放ち山の斜面が燃やしたら急いで山を下り続いて2区が火を放つ。まるで集団でおこなうで狩猟のように人の動きを見ながらその時を待つ。

と、ここで最悪の雨が「ポツリ」と落ち出す。
夕方近くより雲行きが怪しくなると言ってたかが、まさに当然濡れたら草は燃えず野焼きは中止となる。仕切っていたリーダーが連絡を取り1区に急ぐよう指示。10年くらい前から野焼きをされないまま藪となったという切り立った山の斜面に1区が点けた炎が崖を駆け上がる。
しかし、まだ炎の下の若い衆が下りて来ない。彼らが下に逃げてくるまでは我々は草原に火を点ける訳にはいかない。雨に打たれながらただじっと待つ。
























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「あいつら逃げたぞ、今だ!一斉に火を付けろ!」

リーダーの携帯に連絡が入り皆が勢い立つ。




























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火が放たれるも

雨で濡れているのか炎の勢いは弱い。

一瞬で燃え広がることはないが、

それでもジワジワと崖を駆け上がってゆく。

























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雨が降り続き、

徐々に炎は弱くなり、

ついに狩尾峠の野焼きは中止となる。

落胆の声とともに無言で山道を足を取られながら下る。

誰が言うまでもなく軽トラックのコンボイは公民館集合。

麓に降り峠を振り返ると野焼きの黒く焼けたところわずかだった。

























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ビールに焼酎、唐揚げにすり身の天ぷら、新高菜に大根漬が並ぶ。

無念の中止こそなったが、それはそれで心がひとつになる年中行事であり

次なる日程の連絡待ちとなった。

























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すべてを優先する野焼きは「ひとつになれ」という自然の教え事のようだった。

延期という中途な打ち上げではあるが、皆の雰囲気はそう残念そうでもない、

また愉しみが増えた、そんな顔色でもあったように感じた。

すべては区民一体となるまさしく大人の運動会のようなそんな行事のようにも思えた。

次回は24日だろうか、行けそうにはないが燃えるラピュタを目の当たりにするのは

またもや一年越しとなりそうである。



父の最後の舞台が終わり、まさしく「幕が閉じた」という気持ちだ。

感慨深い数日間の出来事を胸に刻み今後の供養としたい。

父、矢野次雄 安らかに。














Festina Lente - 悠々として急げ-













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  1. 2013/03/22(金) 08:54:47|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

浮世雲さん

大切な人を看取ることは、死に目に会うことは、最後の幸せのように思いました。

母は10分かそのくらい間に合わず、「お父さん、ごめんね、ごめんね」と何度も何度も云っていました。

悲しいことですが現実でした。

でも理解の仕方次第でそれはそれで良かったんではないかと母は今は思っています。

母や私たち兄弟、そして子供たちは父存命のうちに最後の別れができました。

だから最後の幸せでした。

私のブログは自分のための公開日記のようなものです。

父の死のことで例えば浮世雲さんのように封印を解かれたり、

もしかして同じような立場の人がそのことを考えられたりすれば想定外の嬉しさです。
  1. 2013/03/24(日) 15:32:47 |
  2. URL |
  3. コルナゴ部長 #-
  4. [ 編集 ]

NoTitle

天草 阿蘇の旅 重篤な気配も 感じさせる事無く
お付き合い願えたの事 深く感謝します
ご尊父様のご冥福を お祈り申し上げます

コルナゴ部長の文章を読ませていただき 伝えるべき事の
大切さを しみじみと感じました
私事ですが封印していた光景が
浮かびだしました


何時まで待たせるんだと

電話がホスピスにいたおばから電話入りました
ならば行くわと言って電話を切り
病院に向かいました

本能的に私が 病室に行った日が
おばの 亡くなる日だとわかっていたんだと思います
何気ない会話
息が詰まるのを 隠すかのように
持って行った 本を読み漁っていました
朝方
おばが一言
そろそろ連絡しないと お前恨まれるで
わかったと 兄弟に電話を入れ

待つ間 
私は
ゆっくり寝てよと 一言
おばは
ゆっくり寝るわと

兄弟が着いた時
それぞれに 一言話し

モルヒネの量を増やしました
そのまま永い眠りにつきました
その光景に
医者が泣き 看護師が泣き

私の生死感は おばに教えてもらったのだと
思います

封印を解いて みました







  1. 2013/03/24(日) 12:12:36 |
  2. URL |
  3. 浮世雲 #-
  4. [ 編集 ]

ヘボーネンさん

お気遣いありがとうございます。

昨日より復帰し今まで通りとなりました。

野焼きは24日も雨模様で中止、31日になりそうです。

機会を見て野焼きの後を走りましょう。

あと、4月29日は久しぶりにオートポリス3時間耐久にエントリーします(笑)
  1. 2013/03/24(日) 10:45:17 |
  2. URL |
  3. コルナゴ部長 #-
  4. [ 編集 ]

NoTitle

中尾さん、奥さん、ご親族皆様方、御尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。
  1. 2013/03/23(土) 22:01:28 |
  2. URL |
  3. ヘボーネン #mQop/nM.
  4. [ 編集 ]

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