
夕食から帰ると、自転車を輪行袋に入れるため、預かってもらっている地下1階の部屋へ急いだ。衝撃から守れるよう、ストレスがかからぬよう、酔ってはいるものの、厳重に、珍重に、そして手早く、来た時と同じように自転車を収めた。隙間には手荷物を少なくするため、全体で25キロを目安に圧縮袋の衣類を入れた。最後にチャックを締め、ひと撫でして帰るための無言の儀式を終了。
帰国の朝。いつも通り大城さんと5時30分起床。手早く身支度を終えて朝食へ。トイレを済まして土産などの荷物をカリマーエアポートに、ipadや充電器、デジカメ、WiFiルーターなどをドイターレースエアーに入れ準備完了。7時30分、2時間後の便で帰られるフカッチさん、フランスに立ち寄る松田さん、それに川田さんに見送られ、ルイさんにミラノ・マルペンサ空港へ送ってもらう。

サルトさんの段ボールに比べて大城さんの段ボールは小さく運びやすい。サルトさんのは普通のロード用、大城さんのはママチャリ用、さすが自転車屋さんの知恵。この空港はそんなに広くないが、自作のローラーに乗せてスイスイ移動の大城さん。

チェックイン。わたしのシーコンの重さを測られて、あとの人も同じだろうと簡単に終わる。自転車は奥の保安検査場に預けに行く。そこには大きなX線検査機があり、シーコンごと通して終了。日本のように袋の中身を出して検査という面倒は無い。ここでも大城さんの段ボール用自作ローラーはおおいにウケる。

ところが大城さん、手荷物検査に引っかかり
「これは何か」と、質問攻め。

無事保安検査を終えるも、出発ゲートがいつまでも案内板に表示されず、仕方がないの免税店をウロウロ、そのうちモレスキン直営店を発見、これ幸いに物色しているとストーンズの手帳を見つけ、転がる石のようにコンマ1秒の迷いもなく即購入22.9€。(帰国後ネットで見るとアマゾンでも普通に売っていた) 相当遅れて出発ゲートが表示され急いで行くが、混雑のまま状況は変わらず機内への誘導はない。そして9時35分発の定刻を1時間ほど過ぎやっと機内へ。時計を見てもフランクフルトでの乗り継ぎは厳しそう。まあ、なるようにしかならないとスパークリングワインを飲んで一眠り。フランクフルト着、他の乗客の流れに合わせるべく慌ただしく荷物を手にすると、後部座席だったが、そのすぐ後ろから降りるように指示され尾翼向きに並ぶ。

10年前だったかな、大連の空港以来の出来事。
後部のタラップより直接滑走路へ降りた。


羽田とシンガポールへトランスファーの人はこっち・・・
誘導されるままに徒歩で滑走路を移動する。

そして、バスに乗り込む。

滑走路から建物に上がることなく
そのまま簡易的な検査場へ。
多分VIPなんかがここを使うんだろうなと珍しい体験。
フランクフルト空港で
ドイツビールにソーセージなんぞ目論んでいたが
今年も叶わぬことになってしまった

帰りの我らのANA発見!
何となく、懐かしくて、ちょっと感動。

日本人スタッフの優しい接客に
もう帰国したような安心感の大城さん
ところでルイさんが、ふと真顔でこう言われたの思い出した
「大城さんは、ベルナール・イノーの若い頃に似てるな」

映画を見終わり、少し寝て退屈しのぎ窓を少し開けたら
くねくねと蛇行する川、その先に赤い夕日が沈みつつ
森と川だけが続く延々の大地があった
そこはロシア、そして中国へ
極北の地で見る荘厳な夜明けの情景だった
10時間をはるかに超えるフライトだったが
疲れることなく定刻に到着した

しかし、予想通り自転車は積まれていなかった
乗客を簡易的な審査をして乗せるのが精一杯
後日宅配で自宅へ送るとこと
不幸中の幸い、面倒なことがなくなった
特に大城さんは東京で仕事して帰られるそうなので
大助かり
ただし、所有者不在での税関審査だから
本人のものかの確認事項と
荷物の詳細についての質問は慎重だった
でも丁寧で、優しくて、気遣いがあって
わたしたちの日本だった

ジロを走り、魅力的なサイクリングロードも走り、
自転車乗りの聖地たるギッザロ教会も訪ねることもできた
昼も夜も記憶に残る美味しいの料理と美酒だった
待たされることなく、迷うこともなく
不快な思いもなく、多過ぎ少な過ぎもなく
そして、懐に優しいお値段でもあった
すべてはルイさん&川田さんの
綿密な下見と情報収集
それに旅慣れた勘による判断
五感で楽しめたことにお二人に感謝
同行のみなさんにも気持ちよく接してもらい
良い旅となった、重ねてお礼申し上げます
今回のジロ遠征は
みなさんとのご縁を得て完成され
やがて60歳という節目となる大きな円を
目出度く閉じることができた
今でも新鮮な声なき歓声が湧き上がって
足は軽くなり、彷徨うように、つい走っている
これからも好きなことを追求し興趣を深めたい

最後に同行のフカッチさんこと
滋賀県草津市の自転車店
スポーツサイクルフカダのオーナー
深田さんの座右の銘を
FLUCTUAT NEC MERGITUR
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漂えど、沈まず。
- 2018/06/30(土) 18:23:26|
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レッコ湖畔のホテルから自走のはずだったが
雨が止まず、
標高754mの丘の上に建つギッザロ教会へは
自転車を車載し車で行くことになった


ついに来た
MADONNA REL GHISALLO

雨上がりのせいか人は少ない




小さな額は写真は亡くなった方の遺影
記帳を探す

昨年ジロ直前に亡くなったスカルポーニ

今回の目的のひとつ
亡くなった友人との署名
手が震え、感極まっていると
年配の女性がそっと支えてくれた

約束は果たせた


隣接する自転車博物館は、入り口にある売店での買い物に時間を取られ見ることは出来なかった。フカッチさんが行かれたが、充実した展示品の数々はたっぷり時間を取らないと鑑賞できないと言われていた。
さて、売店の商品、これが濃い。この手によくある、凡庸、陳腐、月並み、お粗末等々見極めの眼力がありその手には乗らない面々だが、やがてみんな目が血走って、博物館どころではない。写真撮るどころでもない。自分土産、友人土産、まるでセールに群がる奥さんたちのように、教会オリジナルグッズやTシャツ、バッグ、ジャージなど、探しまくって、試着して、財布から100ユーロ札が消えていた。
わたしは熊本輪事国会で自分が出した商品がジロ土産としたので当選者への土産を探した。コットンの上質なクラシックジャージや、カステリのジロ各賞ジャージは選手着用と同じファスナーの取っ手が金色のトロフィーになっているものもあったり(倍の値段)と目移りするばかり。自分土産にはカステリのギッザロオリジナルベストを購入した。買ったジャ-ジ類は「GHISALLO」の赤いノベルティリュック(写真にチラッと見えてるもので上質かつお洒落)に入れてくれるので自走で来ても買うことが出来る。

ギッザロ教会から急な下りであっという間にコモ湖畔へ
今日ゴールのコモ市街までは40キロ
ゆっくり景色を愉しみながら走ろう

湖沿いをサイクリング
道はそんなに広くなく日本で言えば県道みたい
違うのは後ろから来る車の抜き際の鋭さ
小さな車でもあっという間に抜いてくれるから
気を使わなくていい
それもドライバーはおじさんやおばさんでも
対向車がいなければ躊躇せず一気にサクッと行ってくれる
また、古い車が多く
古いもの大切にというか
無駄なお金は使わないみたないな感じか
日本だと初回登録後13年超は馬鹿みたいに税金が高くなり
維持も大変、なので手放そうと思ったら二束三文
「乗り替えろ」と言わんばかりのこの制度は
環境負荷の少ない車にという表向きの反面
税収など利権問題が見え隠れするような
13年経った車をそんなに乗らないだろうし
クリーン化だったら鉾先はバスやトラックじゃない
外から日本を見ると実におかしい
外からの視線として砂田さんもフェイスブックでこのように書かれている。
「マイカーは15年経過したあたりから、いろいろと故障が多くなりました。だけど最近教えてもらったのは、イタリアでも25年以上の車は審査を経て無税となるらしいのです。オリジナル性が問われるというので、やはり文化的価値を認めているのでしょうね。フランスはどうか知らないけど、ツール・ド・フランスの時にコレクションされている2CVがいっぱい沿道に並んでいるのを見ると、同じような法律があるのかもしれません。
日本では古い車に高い税金がかかる一方、ヨーロッパの複数の国では税金がなくなる(安くなる?)モノを大事に使う精神とか、車の文化的価値を認めないのは、消費は美徳という時代に育った人が上に立っているからではないのだろうか?最近の財務省のひどさを見ていると、まともに税金を払うのがバカらしくなります。」

湖沿いに街並みが延々と続く

暑くなりちょっと疲れたところでバールへ
すべての道はローマに続くイタリアでは
ところどころに点在するバールは貴重な存在であり
地元の人の憩いの場でもある
ここは観光地なので1階がバールで
上に行くとレストランみたいなところが多い

コモまで15キロ
標識がとても判りやすい
コモ市街から北西に5キロ行けばスイス
ミラノまでは38キロ

ベッラジオ到着

狭い路地の両側はよさげなショップが並ぶ

これ買いたかったな





スイスナンバーのランボがこの狭い道を通る

ここも再訪したい街だな
惣菜店でサンドイッチを買ってピクニックランチ

大きなオリーブは絶品だった

魚介類をオリーブオイルに漬け込んである
抜群に美味しい
カフェのテラス席でこれを摘んで白ワイン・・・



眺めのいいところを見つけて

ピクニックランチ

見ての通りこのようなパンの生地
やや固くて、噛みごたえがあって、満腹感になれる
塩分は少ない(川田さんによるとフランスパンより塩分は少ない)
なので塩気のあるサラミやハムと相性がいい
最初食べたときはパサパサで違和感があったが
慣れたら癖になった
日本の塩気があるフカフカ、モチモチ感とは全く別物で
やっぱり日本は米文化だからパンもそうなのか

コモ市内でルイさんと合流し
最初に泊まったマルペンサ空港近くの「IBIS HOTEL」に到着
ここには輪行袋や段ボールなど
移動に不要なものを預かってもらい
最終日にまた利用し受け取る
会議室や倉庫など室内で自転車を組んだりできるのも有り難い
ホテルに着いたらまず自転車を梱包し
終わって夕食というのが一般的だが
そうすると19時、もしくは20時
そこから夕食に出掛けるとなると
人気のレストランは断れるし
サービスも悪くなる
やはり開店1番に行くのがイタリアではセオリーとなる
優先するのは安くて美味しい料理だから
そこで夕食を終えてから梱包と決まった
何を愉しみに来たのか、それをよく考えると選択はそこ

ホテルから高速で30分走って街中の道路に車を停め
それからは道を聞きながらの歩き
美味しいものに出会うには根気も必要なのである
今夜のレストランは川田さんが最もおすすめの店
リクエストしていた自転車屋にも途中寄ってもらえそう

自転車屋発見
ショップがふたつあり
ひとつはマウンテンバイク専門

隣は・・・

コルナゴ専門のショップだった
イタリア式展示は超高いシートポスト

コルナゴのe-bike


この街、ヴァーレーゼはバッソの地元ということでサイン入りジャージ
他にもサイモン・クラークがあった

サイン入りジャージ


年代物のウィリエールのクロモリ
「Cicle Ambrosini」というこのショップには
チームジャージがあり、30€と格安だったので購入
ルイさんや大久保さんはメーカー製のジャージを
他のメンバーはジロの「チームボトルを土産用に買われていた
最後の最後に、いいショップに行けて大満足だった

自転車店を出たらまたそぞろ歩き

今夜のレストラン店発見
開店は19時とのこと
少し時間があるのでカフェでビール
わたしは家人用の土産を探しに街を散策

予定時間に開店
一番乗りの名店「Bologna」
今回のツアー最後の晩餐

いい席に案内してもらい
見渡すと続々と客が押しかけすぐに満席
人気店はこういうことである

開宴
乾杯と同時に続々と料理が運ばれ
「心配するな、これがこの店の流儀だ」
みたいな雰囲気

梅酒を漬け込むような大きな瓶には
これまた大きなピクルス
これは小ぶりのタマネギ・・・
ほかにも3つ、4つ、ドーンと置かれた

ワインはルイさんに選んでもらい
初日よりハズレ無し







次から次に料理を運ぶスタッフ

関西人の松田さんも驚きの名店

初めて食べた生サラミ
旨いぞ

スタッフが肉を持って来た
昨年も見たスタイル
肉の重さと値段のレシートが付いて
「これでいいか」

43ユーロ、安っ!

非日常の体験
イタリア式は大満足
フフフと笑って、また乾杯
ワインもう一本、ルイさん選んでんね・・

大久保さんは厨房にご挨拶
まさに「Bologna」は名店だった
美味しいものには足を運ばなくては

ここでは足が揃って全員千鳥足・・・
ではなく、ご機嫌に夜景を見ながら徘徊

川田さんの眼力は鋭く
ジェラート店発見

こんなにも美味しいジェラートは初めて

イタリア最後の晩餐は二重丸だった
ヴァレーゼの名店、ひとり37ユーロは驚きだった
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- 2018/06/28(木) 11:28:13|
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サン・ヴァンサンの朝、新聞を買いに散策

この日、ジロはローマで最終ステージを迎え、わたしたちはコモ湖畔のホテルでレースの最後と表彰式をテレビ観戦する。午前中はアオスタ渓谷でサイクリング、午後はレッコ近郊にある湖畔のホテルまで高速道路を2時間強の移動となる。

バールを見つけた
店主は帰り際の先客と夢中にお話中
目線が合って「ボンジョルノ」と挨拶
新聞は売ってないが
テーブルに「LA STAMPA」が置いてあって
そこに座ると指差して
カフェロンゴを注文、支払う
(立って飲むのとテーブルに掛けてだと料金が違うみたい)

昨日のチェルヴィニアのゴールが大きく載っている
書いてあるのは
「フルームの総合優勝は決定的」とかそんな意味だろう

「期待されたアールもだめ、やはりニバリがいないと」
みたいなことか・・・
イタリア勢の入賞は厳しい

地元の人に聞きながらサイクリングロードの入り口を探す
こっちの人の道案内は難解、特に距離感がいい加減な感じ
川田さんは英語・フランス語以外にも
イタリア語も日常会話なら普通に話されていた(昨年比較)

バルデ川沿いのサイクリングロード
雨上がりの朝、澄んだ空気が気持ちいい
川も昔見た自然のままの姿
日本のようにコンクリに覆われていない

こちらでは日曜は昼間でゆっくり家で過ごすみたい
なのでサイクリングロードにはほとんど人がいない

まさに牧歌的
遠くアルプスが見え
教会の鐘が聞こえてくる
イタリアを自転車で走るとは有名峠もいいが
このような環境も素晴らしい
川田さんはワイナリーを探されていたが
時間が足らず次回の楽しみとした
昨年は偶然オーストリア国境近くで
古い城跡にあるワイナリーを見つけ
オーナーのお話も聞くことができた
そして、自家ワインを取り扱っている
近くのレストランも紹介してもらい
見て、聞いて、飲んで、食べてという
素晴らしいひとときを過ごすことが出来た

ここで放牧されている牛は
日本(阿蘇)のよりひと回り小さい
放牧の環境は
ミルクロード沿いとどっこい

イタリアのイメージは政権とか経済とか振るわなくて
EUの中でもその点に関しては輝きは薄いんだが
南部は行ったことがないので知らないけど
北部は歴史ある産業が多く集中し
有名企業の看板もよく目にする
それにアルプスに続く田舎は気候も良くて
のびのびと過ごされている感じがする
特にお年寄りはみなさん幸せそう
昔からの地元商店やバール(親子何代の歴史)は活気があって
国の政令により営業日や営業時間の制限があるため
大手のコンビニやスーパーは皆無
それって国が新興勢力から守っている感じ
水一本買うことやトレイもなくて不自由するけど
薄い珈琲(アメリカーナ)やハンバーグはいらなくて
やはりエスプレッソとパニーニがある日常生活で暮らしたい
そんな生き方を求めているんだと思う
国の財政や社会保障も大事だが
和気あいあいとした人々の笑顔がもっと大切
「金だけじゃないだろう」と言いたげなのがイタリア
サイクリングしながら
ふと、そんなことを考えていた

ホテルに帰るとフカッチさんはスケッチ中
わが道を進むのが一番
これもジロの愉しみだと
小さな背中は語っているようだった

ホテルに着くとシャワーでさっぱりしてチェックアウト
コモ湖畔へ移動する
途中の町のHoneでレストランを探していると
バルドの城塞を見つけた
ここはアルプスで最強の砦といわれ
ナポレオンに苦戦を強いたという

街中はどうなっているのか・・・
次回はここも訪ねたいところだ

Honeという小さな町の「Del Mulino」でランチ
地元の人が多い
それも田舎なのでお年寄り

まずはモレッティ

おねえさんに聞くと
「ピッツアが美味しいよ」

松田さんも大喜びの日本には有り得ない旨さのピッツア
端っこの方はパンの耳みたいで残しがちだが
全部が美味しい


ニヨッキ
これがまたモチモチでトロ-ンとした食感でありながら
シコシコ歯ごたえがあり、味付けも日本にはない
小麦粉料理の歴史を感じる、されどニヨッキである

北イタリア料理のポレンタ
昨年はドロミテだったからよく食べた
特にポルドイ峠まで上り
頂上のレストランで食べたのが印象的


奥の席で子供さんの誕生会が始まった
日本みたいに決められた時間に集まって
みんな揃って「乾杯!」
ではなく、30分以上掛けてボチボチ集まり
そのうちケーキの配達があり
飲み始めたりしながらいつの間にか始まっていた

ドライブを再開し、高速道路を乗り継いで
Monza経由でレッコ湖畔へ


Valmadreraのホテル「Baia di Pare」に到着
雨模様となったのでそれぞれの部屋で
ローマでの最終ステージをテレビ観戦

このホテルはレストランが有名なオーベルジュ
魚介類の料理が人気らしい

見渡すと結構着飾ったという人も見かけるが
まあこれでも大丈夫


メニュが複雑でこれを読み取るのは大変
おまかせならいいにしても単品シェアなので
ルイさんに解読してもらいボーイさんの助言をもらう
ワインをそれに合わせるのもルイさん
今回のレストランは総勢8名なので
4名で違うものを注文してシェアする

繊細な料理が並ぶ

少し高級そうだがお安い

ルイさんのステーキ
食事には必ず肉が定番

久し振りの魚料理

ジロに来て、たぶん25枚目のピッツアか

魚介の上品なパスタ

これで二度目だが
耳まで美味しいのがこちらのピッツア
ホント、関しる美味しさだ

雨が激しく降ってきた
雷も鳴っている
明日はどうなるのか、と思いつつ
泡、赤、白と飲んじゃって
ベッドに入るなりそんな考えは終わった
お隣の大城さんは1秒で寝息をたてていらっしゃる
良かった、今日もわたしの煩い歯ぎしりを耳にされないで済みそうだ
「レッコ湖畔の夜、みんないい人で今日も楽しかった
でも旅の終わりが近づいている」
と、一行日記に書いていた
FLUCTUAT NEC MERGITUR
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- 2018/06/24(日) 17:10:46|
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第19ステージのフィネストレ峠の麓で、大久保さん・フカッチさん・松田さんが砂田弓弦さんにお会いすることが出来た。この日、第20ステージゴールのチェルヴィニアでも、大久保さんと大城さんはお話することが出来たようだ。砂田さんのジロは今年で30周年、主催者のサプライズでステージに招かれ関係者からの祝福もあった。ジロでリーダージャージを着る権利を得ない限りステージに上がること出来ない。1世紀以上の歴史の中でグランツールで初めて表彰台に上がった日本人は、2012年のジロ第4ステージで新城幸也選手が敢闘賞を獲得した1回のみであり、サイクルフォトグラファー砂田弓弦さんはそれに続く歴史ある快挙である。

ジロのレース観戦はこの日で最後になる。
わたしに響いているのはレースの行方ではなく
日常から解放された特異な生活である。
それは自転車で走っている間の
すべてのことから解放される空っぽ感
時間を気にしない大いなる退屈という空白感がいい。

この日の朝、ホテル近くのバールに行ってガゼッタを見た

砂田さんは「歴史に残るフルームの区間大勝利をオートバイから撮影できてよかったです。10年に1度あるかどうかのレースでした。」と、フェイスブックに書かれていた。史上稀に見る名レースだったことは帰国してから知った。このレースに立ち会うことができて、それもフルームが目の前を通り過ぎた15分までは同じ荒れた道を走っていたのだから・・・
これは翌日のガゼッタ、同じ角度の写真が
今発売のciclissimoに載っているので砂田さん撮影のものか・・・
今回の号は2018ジロ・デ・イタリアのすべてを網羅した記念誌であり、砂田さんの臨場感溢れる写真とともに、全行程撮影された砂田さんのレポート記事、それに30年に及び自らのジロの経験を鑑みた文章は必見である。

前日とこの日泊まったのが、黄色の建物のSaint-Vincentのホテル「Best Westerm Plus Alla Posta」。新しくて清潔な客室、フレンドリーなスタッフ、美味しい朝食、窓からの景色は中世のヨーロッパのよう、隣の古い教会も絶妙な味を出しているし、時折鳴り響く鐘の音が歴史を感じさせる。ここは是非再訪したい街であり宿である。

さて、Saint-Vincentの朝
散歩で出会った猫は
もしやと思ったが
やはり鳴き声は「ニャオ」だった。

ホテルの朝食
手作り感ある豊富なジャムや
チョコクリームのヌッテラの見せ方にうっとり
自分としてはこれが朝食の全体像を物語っていると思う
玉子料理はおばちゃんが出来たてを作ってきてくれるし
お姉さんのカプチィーノも美味しかった

オテルのサイトに載せたいと記念写真


あの雪山目指してサイクリングスタート
ジロのコースに入ると続々自転車乗りが増えて行く

世界各地から集まる自転車乗り
昨日の未舗装区間を避けてこの日が一番多いのでは
昨年のステリビオ峠のよう、と思いきや
ciclissimoの砂田さんによると
フィネストレ峠の例年の半分以下の人出だった理由は
イタリア人選手の不調
この峠に来る前にリタイアした
アールの予想外の低迷だったのではと書かれている


ここは撮影ポイントして人気だったので記念に一枚
しかし、隣のサドルの高さはありえん
前の二人がここで国旗を広げて写真撮っていたら
車が急に停まって大騒ぎとなった
アルゼンチンの同胞にヤンヤの大歓声
お蔭で後続車両は道の真中で止まるが
抱擁が終わるまで静かに待っていた

ゴールのチェルヴィニアまで大阪の松田さんの後ろで走った

フカッチさんと松田さんは川田さんが手配されたスペシャのレンタルロード
特に問題もないように言われていた

徐々に祭りの雰囲気が濃くなって

ピンクに飾られ
レストランもカフェもスーパーも
店という店は大賑わい

家族ライダー
お父さんは後ろに小さな子どもを乗せ
お母さんはそれも見守り
お兄いちゃんは先を行く

パンターニのジャージがカッコいい
当然オーディエンスはここでもヤンヤの喝采で
「パンターニー、パンターニ!」
「アレ! アレー!!」と、熱烈応援
激坂に顔が歪んだ本人も
完全に成り切っている雰囲気

ついにはFDJ軍団の少年達出動


国旗、民族の旗に集まる人々
多くの国が地面に引かれた国境を
取ったり取られたりの歴史がゆえに
団結する象徴のよう

到着
これぞ写真でよく見た山
マッターホルン
イタリアではチェルヴィニア
ジロ登場は1960年、1997年、2012年、2015年に続く5回目
山頂にはスイスとイタリアの国境が通る標高4,478mの山
まさかこの山の麓に立つことができるとは


テントは禁止のマッターホルン、
登山者は3200mにあるヘルンヒュッテに泊まり
早朝アタッくして山頂に挑む
1786年モンブランが初登頂されて
ヨーロッパに登山ブームが始まり
主な高峰が次々に制覇され
最後に残ったのがマッターホルン
1865年初登頂となる
今は3480メートルのプラトー・ローザまで
気軽にロープウエイで行くことでき
スキーやハイキングが楽しめる
それにしてもこの山容は素晴らしい


ゴールとなる広場にはサポート企業の商品が目白押し
レッドブルも新商品の試飲をかけて無料配布
ただしお姉さんがプシュと缶は開けて渡される

アルファロメーオ

残念ながらポロシャツは非売品
アルファのブースのお姉さんの手には

イタリアンレッドの
まさかのアルファロメオのロードバイク

ジロの公式ショップでボトルと
4賞ジャージと同じデザインの黒のジャージを購入
ジャージのファスナーの引き手に
螺旋形のトロフィーのチャームがあるのは倍のお値段
新ジャージは空気力学的にデザインで124gと軽量
Sサイズで皮膚のようにジャストフィット
この手を着出したら
従来のは突っ張ってモサモサ感あるな

アミーゴー!のスペイン応援団
ルイさんから天気が崩れそうなので
麓でピッツアの美味しい店に行かないかと誘われ
わたしと松田さんはルイさんと一緒に下ることにした
長い時間ここで待つより
ビールとピッツァを楽しみながらテレビ観戦もいいだろう
ところが桃源郷たるピッツァ屋は休み
仕方なくホテルに帰りテレビ観戦となった
これが最高でシャワーを浴び
ホテル近くのスーパーで買ってきた
オリーブやベリー、ハムにチーズを摘んで
バローロを抜いてテレビ観戦しながら乾杯
至福のひとときを過ごした

ここから大久保さんの写真

店長はゴール観戦の一番いいポジョンをキープ

砂田さんともご対面出来た様子

ご機嫌そう

ゴールを観戦した二人が帰ろうとすると
天気がどんより
予報通り山の天気は崩れて
雨が降り出した

それも大雨になり
雹(ひょう)も降る大荒れで
一旦避難されたという
ここで役になったのが
川田さんから渡されていた緊急用のアルミシート
これで身体を覆うと濡れた寒さが凌げたという
ポケットティッシュの大きさなので
未知の領域に踏み込むときには必需品
雨が小振りになり警察車両の先導で帰ってこられた

大久保さんと大城さんは
レストランに出掛ける時にびしょ濡れで帰って来られ
遅れて参加
雨に打たれて一時は散々の目に遭われたようだが
ゴールの興奮も味わえて
これはこれで良き体験となったようだ

半地下のワイン蔵のようなレストランは雰囲気抜群
リゾットが美味しく肉料理も最高に美味しかった
疲れていたのか写真はこれのみだが
素晴らしい1日だった

フカッチさんは峠まで行かず
途中のレストランで悠々とテレビ観戦
そしてマッターホルンのスケッチを満喫されたそうな
それぞれの第20ステージだったようだ
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- 2018/06/21(木) 14:58:42|
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ジロ第19テージ、プラト・ネヴォーゾ峠中腹にて撮影
小さな子供をトレーラーに乗せて走るママライダー。
この日、フルームは未舗装路に入るとすぐに単独の逃げを始め、大きなコーナーを曲がった先(残り80.7km)に、子供抱きながら応援するこのママの姿がYouTyubeの映像に映っている。木に覆われた未舗装路は、ぬかるんで自分の場合ギア2枚違うのに、ここまで上るだけでもかなりキツいはず、それに子供乗せたトレーラーを引いてのことだからなおさら。ママの行動は単に熱狂的ゆえのことだったのか、子供との共通の記憶を留めたかったのか・・・
同じようにトレーラーに子供乗せて走る男性の姿も目にしたが、いずれにしてもサイクルスポーツには多様な楽しみ方があるという現実が目の前の光景だった。しかし、ママの姿は印象的だった。そこでこんな憶測が宙に浮かんだ。ヨーロッパでは、出生数に占める婚外子の割合が高く、フランスやデンマークなど生まれてくる子どもの半数以上が婚外子(日本は3%に満たない)である。ゆえに何ら差別を被ることはなく、婚内子と同等の権利が保障されており、ママの行動はパートナーがいなくても自由に生きられるのだという盤石な背景、社会制度を未舗装路のフィネストレ峠麓で頭に浮かんだというのがその時の事実である。

イタリア4日目、ジロ第19ステージ観戦の日。
未舗装のフィネストレ峠(全長18.5km/平均勾配9.2%/最大勾配14%)が3年ぶりにコースに組み込また。わたしたちは上り後半の7.8kmの未舗装路から続くチーマコッピ目指して麓のSan Giorioから自走し観戦する。それを可能にするのが、今回のツアーのために川田さんが道路規制や時間配分・観戦ポイントなど入念な下見による情報である。足が揃っているわけではないので、それぞれのペースで上ってそれぞれの場所で観戦し、麓の集合場所へ決められた時間までに戻るのがルール。
車を置くのはSan Giorioの共同墓地、日本と違い車上荒らしや盗難など普通なので、よりリスクが少ないところを選ばなくてはならない。イタリア南部に比べたら北部の方はまだ安全らしいが貴重品は車に置かず必ず身に付けるのが基本。駐車場所はルイさんの経験と知恵で村の共同墓地となった。

今日も天気に恵まれ清々しい

峠だからそれぞれのランチと
寒さ対策のウェアー類を持参し出発

峠の麓にあるこのカフェを集合場所にした

警察が居並ぶ左折するポイント
ここから峠道が始まる

いきなり8%くらいの上りになり
大城店長の後ろに付く
日の丸見て「ジャポネ!」と、応援がうれしい




ジロ一色の親子
この日の正装




おまわりさんから、この先のコースは通行禁止なので
迂回路へと案内

これがとんでもない坂道で
途中からグラベルとなり
自転車から降りる

そしてシクロ

ジロルートへ出る

パンターニおじさんが熱烈応援

木漏れ日の新緑が素晴らしい
宮澤さんもDAZNの解説でそう言われていた
狩野さんもだが、こちらで合宿した方は
有名な峠はよく走られている

ここはまだ穏やかな応援の自転車乗り
上るに従って段々と熱いグループとなり
ビートの効いた音楽が聞こえ
発煙筒がたなびき
奇声をあげるが温厚な酔っぱらい集団となる
もちろん彼らの必須は国旗や民族の旗


峠最後の移動カフェ「パンダーニ」
この先から未舗装となる

未舗装区間の始まり
警備の人から自転車から降りて押すように言われる
と、見えなくなったら乗ればいいんだと
オーディエンスのおじさんたちの助言
此処から先の未舗装区間は普段使われていないらしく
ジロのために土を盛って走れるようにしてあった
未舗装に入った瞬間
グッと重くなり影のところは土にタイヤが沈みギア2枚の抵抗


いよいよ雪の景色となってきた
その頃、フカッチさんや大久保さんたちは

砂田弓弦さんと遭遇

わざわざバイクから降りて
お話もしていただいたようだった

昨年のサポートカーすべてホンダだったが
今年はすべてアルファ


昨年はバイクもホンダだったが

今年はマビックカーはなし
シマノは健在

それぞれのペースで走っていたら
サルトさんと会い
眺めのいいところで腹ごしらえをして
レースに備えようと

あとから大城さんが上ってきて一緒にランチ

雪景色を眺めながら
パニーニ

昨晩レストランで食べ残したチーズ盛り合わせを
紙バッグで持ち帰ってそのまま盛ってきた
パニーニに豪快に挟んで食べると
いろんなチーズの味がして抜群に美味しい
裸になっているのはアンダーを乾かしているから
それと日光浴、気持ちいい

ここから先は行ったのは
坂道を物ともしないe-bikeの川田さんのみ
GAMBAのジャージの人はジロツアー主催している方で
世界各国から多くの参加者が参加していたという


川田さんが黄色のが欲しいというと
注文先を教えてくれたという

これがフィネストレ峠付近の人の列


サルトさんと大城さんと三人の観戦現場にもどる
ヘリの音が聞こえてきた
警察の車が道の端にいるよう手で指示する
谷を見ると先頭が来た

フルームただひとり!

フルームらしい高ケイデンス
とてもじゃないスピードで消え去った

40秒後トム・デュムラン、ピノーら4人組が通過



10分後マリア・ローザを着るサイモン・イエーツグループが通過




隣にいたお兄さんが知人なのかロットに話しかけていた
これで19ステージ観戦終了
山を下る
集合場所のカフェにルイさんが車持ってきてくれて
そのまま車でアオスタ渓谷に向けて移動

20時、Saint-Vincentのホテルに到着
隣に古い教会があるいいホテルだが
2泊するので詳細は次回

夕食は近くのミュシュランのレストラン「Patit Bijou」
安くて美味しくて雰囲気が素晴らしい
川田さんの触覚に響いたところに外れがない

このワインは絶品
日本で探してもう一度試したい

豚の血と・・と・・のパスタ
旨い





レストランの隣の広場ではファッションショーが始まる
このあとは水着審査

古い町並みを散策しながら帰る
疲れているはずなのに
メンバー全員元気過ぎる
お互いの道楽の付き合いも深まり
すでに純粋な友情
日々是好日、愉しいものである
FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2018/06/16(土) 16:00:38|
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ジロ第18ステージゴール、プラト・ネヴォーゾ峠の中腹にて撮影
見応えのある有名山岳ステージのジロのコースは、早い時間から自転車以外車両通行止めになる。また、終わってから麓に降りる渋滞も想像以上、そこで自転車で上るか、歩きか、もしくは細い道を車で相当早い時間から行って終日費やすか、これは地元か道に慣れた常連でないと無理だろう。
そこで帰りにも早い自転車で観戦するのが一般的となり、延々と上れる人はロードバイクで行くが、サイクルスポーツが盛んな当地では、子供から年配まで多くの人が年に一度のお祭り騒ぎに参加したいため、アシストのあるe-bikeの選択となり、ざっくり自転車の半分近く占めていたように感じた。
ダンデムも何台か見かけたが、バッテリー2個搭載のe-bikeのダンデム(Moustache)は、いつまでも二人で感動の体験を可能にすることができる。、体力を補ってくれるe-bikeの存在は、これから新しい世代となるファナティックなシニアの象徴のように思えた。

イタリア滞在3日目、今日はジロ18ステージ観戦の日
170km地点のMondoviまで車で移動し
それぞれの力量に応じてそれぞれでゴールを目指す
その前にクーネオ市街へサイクリングへ行った
レースを追い求める観戦だけではなく
イタリアらしさを体験することも楽しみであり
このツアーはよく考えられている
天気は晴天、雪を残すアルプスからの澄んだ風が心地いい
ホテルの前の大通りから道を横断する際に
ラウンドアバウト(環状交差点)は便利がいいものの
朝のラッシュ時にはなかなか車が途切れず
横断歩道に移動し道を横断することになる

普通の橋に見えるが橋脚は中世の時代
このあたりがイタリアらしい

トリーノ広場到着

街中をサイクリング
当然ながら石畳

クーネオ市役所
さて、この辺がどの当たりかというと
ミラノ~サンレモがあるサンレモまで北北西に64km
パリ~ニースのニースまでが81km
ニースから映画祭で有名なカンヌまで34km
地中海沿いの有名観光地まで程近いが
あくまでもアルプスの麓を彷徨う


街にある自転車屋
フカッチさんと大城さんは興味津々
自転車はチェーンで吊られて整備されていた

街のカフェがランチの準備を始める頃にサイクリング終了

ホテルへ帰り自転車を車載して
ゴールのプラート・ネヴォーゾの麓の街、Villanova Mondoviへ移動

Villanova Mondoviのとあるサッカー場へ車を置き
川田さんからライドミーティングがあり
この日の道路状況では峠でゴールを見てからだと
レストランでの夕食(これ大事)に間に合わないので
選手が来る前に峠を下って
落ち合う場所を決める

途中、カフェでランチ用のパニーニをテイクアウトするも
峠へ行くライダーの考えは一緒で超混み合っていた

イタリアの方と結婚された日本人の奥様発見
メンバーはおすそ分けをいただく
日の丸のおかげ

道路拡張にも移動させず
道の真中にある教会


お祭り開場と化した集合場所のプ
ラート・ネヴォーゾの広場
ここから大城さんと二人で頂上を目指す

「此処から先は通行止めだよ」、とPoliziaに静止
しかし、「右からなら行けるよ」、と自転車乗りに優しい
ツール・ド・フランスならこうはいかない

ゴールの頂上付近に着くと人で溢れて
そのうち退役軍人さんかな・・
鼓笛隊のパレードが始まり
移動を諦める

眺めのいいところでランチ

下りに備え
裸になって汗をかいたアンダーを乾かす
それと日光浴
ジロで裸はおかしくない
サルトさんからそろそろ降りないと
「選手が来るよ」とメールがあり
急いで退避

プラート・ネヴォーゾの広場まで降りて
メンバーを待つ
64歳フカッチさんはここでも人気
ヘルメットやウェアに、あれやこれやの質問
フカッチさんのヘルメットのイラストながめながら
いいなあと思いつつ
「軽い」のとか「空力」とか
もはやそんなのどうでもいいので
将来の自分のヘルメットに描くアニメを想像
そんなニーズを満たすような商品出ないものだろうか

Villanova Mondoviのロータリーで応援することに
先生に引率された小学生の応援
これも授業の一環であり
警察が通ると、「Polizia・・・!」(ポリツィアー)と一斉に叫び
それに当然のように反応して、クラクションを鳴らし
手を降っていくおまわりさん
スカイのバスが通ると「スカーイ!!」
と全チーム名を叫き
キャラバン隊が通るといよいよ熱を帯びる
特にイタリア選手のチームバスやサポートカーが通ると
「アルー!!」
「ファビオー」 「マルコー」と大人に負けず熱狂的になっていた

今回の応援スタイル
たまに合図したり
反応してくれる関係者がうれしい

キャバン隊は撮り忘れ後悔していると
ヘリコプターの音とともに
サイレン鳴らしながらアルファのパトカー
いよいよ本隊が来るぞ

ジュリアのサポートカー

ミザーノブルーのジュリア

トップグループ
ヘリの爆音と車のクラクションに
ハイテンションになり
道いっぱいに近くの住民総出での大歓声
けたたましく笛が鳴り
カウベルもカランカラン
犬も吠えまくる

そして集団通過
風圧が凄くて
まさに列車が通過しているよう

ジロが終了したら速攻で撤退しサッカー場から車で移動
ホテルに着いたら
これまた1時間でシャワー&着替え
洗濯は川田さんが近くのコインランドリーに行っていただいた
感謝!

夕食はホテルのスタッフからの情報で
地元の人気レストランへGo!
定番の安くて美味そう

店の入り口に海鮮の生簀があったので
久し振りに新鮮な魚介類を



しかし、やっぱり肉

ポーク
これが抜群に美味しかった

バルバレスコ

余ったチーズは袋に入れて持ち帰り
明日の峠でパニーニに挟んでランチに

お隣席とまたもや交流会

ホテルに帰ると大久保さんの抹茶サービス
訪ねたレストランでもスタッフに真心込めて点てられ
みなさん感動されていた
ちなみにケースなど一部はモンベルの野点セット
凄いな、モンベル、珍道中の秘密兵器
まさかこの地で活躍するとはね。
FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2018/06/13(水) 17:40:33|
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「ビワイチ最初に始めたのは、もしかして僕かも知れへんな」と、琵琶湖近くでサイクルショップを営むフカッチさんは1952年生まれの大先輩でまだまだ走りはお強い。ジロ観戦の熱病で我を忘れるわたしたちを横目に、気に入った風景があれば自転車を降り、リュックからスケッチブックを取り出して水彩画を描かれる光景に、世界中から集まったジロ患者をホッとさせる場面を何度も見ることがあった。峠を目指すばかりがジロじゃないと、お似合いのカトゥーンアニメが描かれたヘルメットやジャージは、ビンテージな大人のヤンキーな嗜みと、ジロ観戦6回の余裕を物語っていた。

はるばる北西イタリア
フランス・スイスの国境近くまで来たのだがら
自転車以外にも
抱いていた夢を実現する大切さを教えてもらった
情熱を持って生きている限り
身体は老いても精神は現役のまま
フカッチさんのように人は年を取らない
ジロで多くの人が自然と集まってきたのは
そんなエネルギーを発散していたのかも知れない
「夢は持っていた」ではなく、持ち続けるものだと
誰かの言葉にあった
「昔は頑張った」と振り返るのではなく
夢に一歩でも近づくために
今も頑張っていることこそ大切な生き方なのだと
サイクリストが通る脇で書かれたこの絵も
そう物語っているようだった

ホテルから車で移動し、アルバの街を散策
途中ジロのコースでは
並木をピンクで飾り付けている姿を多く目にした
年配の方は自宅の庭やテラスを花で飾り
古い自転車や風船もピンク色に染まっていた

このあたりはどこに行っても路地は石畳
ゴツゴツと跳ね返りが連続し
地元の人は普通に走っていたが
濡れているところは滑りやすいだろうと慎重に走った
しかるに、パリ~ルーべの未舗装に敷かれたような
握りこぶし大のパベェ(石畳)に比べたら
舗装みたいなものなのかも知れない

フカッチさん好みの看板発見
「TARTUFI 」 この地方の名産トリュフの専門店

今は白らしい
トリュフをソースにしたり、ハムに混ぜたり
いろんな加工品を試食させてもらった
欲しかった白トリュフの塩も確かあったはずだが
モードに入らず躊躇したことに後悔
イタリア最初の土産のチャンスを失った
こんな旅では後で買えることはまず無い

ルイさんはフンギ、イタリアキノコの王様ボルチーニを購入
パスタやピッツァ、リゾットやスープなど
芳香な香りを活かすイタリア料理にはかかせないという
シーコンのスペースを考えたら軽くて荷物にならず
これも買えばよかった

もしかしたらアルバの街に初キッズジャージ
石畳の路地の街並みから離れ
次はぶどう畑の丘陵が続く爽やかなサイクリング

川田さんが途中離脱し、フォカッチャを買ってきてくれた
そこでディアーノダルバ村の入り口にあるベンチでピクニックランチ
ベンチの隙間を利用して
川田さんがナイフを入れ、いろんな種類のフォカッチャをシェアした
こういう楽しみ方ができるのもイタリアの田舎ならではだ

BSの「小さな村の物語」のテーマ曲
オルネッラ・ヴァーノー二の 「L’appuntamento」が聞こえてきそう
ここはイタリア第一級ワインを産する村

2014年GiroでBaroro~Barbaresco間の個人TTコース記念の大車輪
<

バローロ村のぶどう畑
長期熟成銘柄の最高級品イタリアワインの名産地
ここのぶどう畑には必ず一本のサクランボの木が植えてあり
鈴なりに実ったものもあれば
あぜ道ひとつ離れるだけで、まだまだという畑もあった
どこがどう違うのか、不思議な光景を見るにつけ
このようなことがぶどうの木にもいえることなんだろう
有名なロマネ・コンティを産する畑も
あぜ道1本で天と地ほど違うと聞いたことがある
ちょうどそこが地層とか断層とかの切れ目であり
適当に道を引いた訳ではない・・・

ピエモンテのぶどう畑の景観が世界遺産に選ばれ、その5地区のひとつがバローロ村のあるランゲ地区。この日は見渡す限りぶどう畑が広がる丘陵地帯や、所々に点在する村も訪ねた。また、ここでは紀元前5世紀のぶどうの木の花粉が発見されており、古代ローマ帝国の遺跡ではない、当時のままの風景を想像できる貴重なサイクリングを楽しむことができた。

バローロ村の大聖堂
村に響く鐘の音と
隣にある保育園の賑やかな声
子供たちの可愛らしい言い争いと
それを嗜める先生の優しい言葉
こんな会話から
イタリア語のレッスンを始めると楽しいだろう

大聖堂下のカフェ「Ma.To di Marengo Paolo」のテラス席で一息
エスプレッソをちょっと薄目した、カフェロンゴが定番になってきた

川田さんが店主と話して、看板にあるドルチェが人気らしい
そこで地元デザート「Bunet」をいただく

これが濃厚で香りが素晴らしく
甘いものが苦手でも感動するほど美味しかった
それに観光客相手ではないので安いのだ

店の前での集合
このような楽しみも
フランス語と日常会話に困らないイタリア語が堪能かつ
食を探求する川田さんだからこその旅である
もちろん当然ルイさんはもっと話せるが
我々男は、一歩の押し、場の雰囲気を理由に
食の追求という熱意には欠けるんだな

Ma.To di Marengo Paolo の店内
お茶とドルチェだけで終わったが
次回のチャンスがあったらランチを愉しみたい

バローロ村のBorolo Landでワインテイスティング
ONLY TOPの4杯を25€で試飲

バローロ、Barolo、BAROLO、ばろーろ

イタリア最高級のバローロ・・・

10年ものがそこそこのお値段

この2011年ものは300€
4万円弱
記念に買ったのは15€のLANGHE NEBBIOLO
何かの本で読んだ主人公がLANGHEが好きだったから

16時前にサイクリングを終え
17時にクネオのクリスタル・ホテルにチェックイン
ちなみにイタリアやフランスなどホテルのエレベーターの表示がこれ
0階が実際は1階で、1階のボタンは2階と不思議な表示が標準
なので311号室は3階のボタンを押すが階段で上がるなら
4階のフロアにあるので、はじめは訳が解らなかった
海外自転車輪行必須が洗濯ネット
川田さんが代表して近くのコインランドリーに行ってもらったが
これがないと駄目
B&Bではママが有料で洗濯してくれるが
やはり洗濯ネットがないと駄目
加えて、ほとんどは自分の部屋の洗面所で洗うから洗剤も必須
ジャージは上下2セットで保険として積雪の峠用に冬用がワンセット
今回冬用は使わなかったが、昨年のステルビオ峠では凍らずにすんだ
ウィンドブレーカーは荷物にならないので2枚重ねれば相当凌げる
綿のTシャツは外には干せず、部屋干しなので1日では乾かない
なので洗え替えとして考えないが無難
乾燥機に入れたとしても100%乾燥すると思っていないほうがいい
特にソックスは完全に乾かないと納豆になるから手に負えない
この辺はまた追々と

クネオの中心地にあるレストラン「I 5 Sensi」で夕食
地元でも人気の繁盛店で川田さん選択の理由はクチコミ評価
スタッフの特々とした説明を聞いてコース料理28€に
牛のたたき、ラビオリ、パスタもしくはリゾット、子牛、デザート
この地方は米の産地なのでリゾットが有名
食べてみると期待通りの「どうしてこんなに美味しんだろう」と
リゾット好きのわたしは感動の逸品だった

チーズがいろんな種類があってたまらない

アニバサリープレート登場

川田さんの1日早いバースディのお祝い
ほかのお客さんがいるレストランで
一瞬店内を暗くし、スタッフがバースディソング歌いながら
運ばれてくるプレートは感慨もひとしお
何となく日本では個室で
身内だけで・・・というイメージがあるが
他のお客さんの拍手こそ、感動じゃないかと思う

牛肉のカルパッチョ
ヴェネツィアのハリーズ・バーから始まったカルパッチョ
1950年の秋、食事制限のある常連の婦人が店に訪れ
薄くスライスした生のフィレを出したのが始まり
カルパッチョという画家の描く鮮やかな赤と
よく使われる白の色彩をヒントに
ビーフのテンダーロインとホワイトソースを組み合わせ
その画家の名前を料理名にした

美味しい料理に舌鼓をうっていると
大久保さんの姿がない

厨房で発見
もちろん了解を得てのことだが
その熱意は凄い
何処でも
誰にでもツーショットを快く受けさせるのは
ほとんど名人芸だな

ここでもチャオ~
日伊親善大使は駆け回る

難解なワインの選択はルイさんにお任せ
フカッチの
パッショーネのようなバローロと

爽快なルビー色のランゲ
素材の滋味あふれる数々の料理
湯気をたてて運ばれるパスタやリゾット
目にも鮮やかな真っ赤なフィレ肉のカルパッチョ
ロゼ色の子牛
パーティの適正人数が8人である理由は
1本のボトルをを最適な量で注ぎ分けられ
そのため2種類のワインを飲めるからという
僕らはそれを2セット・・・
プラス、食前にビールにスパークリングワイン

ということで長々とした二日目終了
サイクリングが終わってホテルで食べるなら
たっぷりと時間があるが
高くて美味しいはあるけど
安くて美味しいはあまり聞かない
よって、事前情報をもとに予約し、外に食べに行くことになる
ホテルに着くいやいなや
「1時間後にロビー集合」ということになり
その間、二人部屋なので交代でシャワーを浴び
交代で洗濯をし、慌てて着替えることになる
この日の店もそのような理由で、かつ開店時間を狙う
遅く入ると混み合い、当然料理は遅れ、サービスも悪くなるから
これが川田さんのツアーの哲学
どうでもいいことはさっさとやり
楽しいことに時間をたっぷりとかけるということ
早起きは得で
凝縮した時間を過ごしたあとは早寝をすること
結果、綺麗な花束のような明日が待っている
このような日頃の生活を目指しながら
自分の望みはそっとポケットに隠したい。
FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2018/06/09(土) 20:08:57|
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昨年の100回大会に引き続き今年もジロ・デ・イタリアへ7泊9日で行ってきた。
昨年はイタリア半島東北部のドロミテ山塊を中心にした山岳とミラノのドゥオーモ広場ゴール、今年は北西部のフランス国境に近いピエモンテ地方、そしてアルプス山脈を舞台にした最後の山岳決戦を自走で上って観戦する。
フライトはANAのコードシェア便で、羽田からルフトハンザでミュンヘンに行き、空港内地下鉄で日本より厳しい手荷物検査と出国審査をし、便を乗り換えたルフトハンザでミラノ・マルペンサ空港へ、帰りにはフランクフルト経由でANA便となり費用は羽田マルペンサ往復が122,420円。
案内してもらうのは昨年に引き続き南仏プロヴァンス在住のルイ・バトゥーさんと川田俊絵さんのサイクリングツアー会社、「アドベンチャー・サイクリング・ヨーロッパ」(以下ACE)のお二人。ACEさんへのツアー料金が2,100€、ツアー代金に含まれない今回の昼食・夕食・飲み物代等が300€(毎晩本場ワイン三昧)、それとジャージ類など土産代が400€だった。
高いと思えば高いし、この体験が安いと思えば安いかも知れない。無理と思えば無理だし、興味があればどうしたら行けるか現在の収支を再考してみると、1年後、2年後に可能性はあるのかも知れない。ちなみに私と松澤さんと大久保さんは、四捨五入の60歳前後が部活に一番熱が入ると考え、あとは燃え尽きる。
レンタカーや公共の交通機関で行けるスタート地点やゴール観戦だったら独自で行けるかも知れないが、大会のコースを選手が来る前に自走で上る峠での観戦となると、道幅も狭く交通規制もあり地元並みの経験者か、キャンピングカーで事前に待機して過ごさない限り無理である。そうなるとACEさんのように下見して、ホテルから自走で行くか、麓まで車で行って上るか、入念な計画(風雨雪対策)を立てないとジロの山でのお祭り騒ぎには参加出来ない。
以上、よく聞かれそうなことを列記。
川田さんの情報によると、物価・料理の旨さ・観戦規制の厳しさは、ジロ > ブエルタ > ツールの順だそうだ。ホテルやB&Bの朝食や、普通の食堂のランチや、地元客が多いレストランなど、ジロに外れは一切なかった。またワインの名産地ゆえ10€代でも驚くほど絶品のワインが多かった。(64歳コテコテのフランス人のルイさんの評価)

松澤さんと大城さんの輪行は段ボール
大城さんは移動のためにキャスターを自作
これがミュンヘンの手荷物審査で大いに受けた
大城さんは沖縄のサイクルスーポーツに深い
ツール・ド・おきなわは過去29回のすべてに出場されており
サイクルスポーツを地域で牽引する立場として
ジロ遠征の経験は貴重なものだと思う

飛行機での輪行の関門は空港までの移動と預け入れ検査、段ボール組は羽田空港へ宅配。シーコング組のわたしは熊本空港まで車で送ってもらったので、羽田の国内線から国際線への移動はキャスター付きなので無問題、岐阜の大久保さんは新幹線だが早朝なので大汗かかずに到着、帰りは国内線を選択。検査はチェックインカウンターで重さだけ測って、奥の大型専用の検査場でヘルメットやシューズ以外の衣類などをを入れておくと全部出して検査される。これが帰りのミラノ・マルペンサ空港ではシーコンが丸々入るX線検査機があるから面倒なことはない。

預け入れが終わるとあとはフライトを待つばかり
なので乾杯!

寝る、見る、食べる、飲むを繰り返していると、苦痛も不快も感じずミュンヘン空港到着。寝酒にウィスキーを頼んだら、ドイツ国エアーラインには無く、代わりにコニャクを案内されて芳香な香りを堪能する。

ドイツの空港(ミュンヘンとフランクフルトしか知らないが)では、ゲートへの案内板・標識が見やすくて(的確な場所へ限られた標識)搭乗ゲートへ行くのが簡単な気がする。ただし、日本のように「〇〇便のお客様いらっしゃいますかー?」なんて、呼んでいるスタッフはいないし、出発時間が迫っていても、優先的に前に入れてくれるようなことはない。すべて自己責任が常識という感じ。なので余裕をもって搭乗ゲートへ行くことにしている。

地下に行く長いエスカレーター

空港内の地下鉄で搭乗ゲートへ
電車が来ると透明の隔離ドアが空き乗り込み、到着すると自然の流れでエスカレーターに乗り、あっという間に搭乗ゲートへ。ルフトハンザA320に乗り換え1時間5分でミラノ・マルペンサ空港(MXP)に到着。

ミラノ・マルペンサ空港到着
自転車がなかなか出てこなかった。違う便に乗った乗客と空港スタッフが荷物が届かなく押し問答中の場面も。
ここはイタリアと觀念するしかない。なので一泊過ごすだけの荷物は手荷物に入れておくのが必須。30分以上1時間近く待たされてやっと運ばれて来た。

到着ゲートを出たらルイさんの迎えが心強い
これからの滞在中に無駄な待ち時間や回り道
それにやり直しが無いことが旅を有意義に楽しむことが出来る
「時間をお金で買う」ということ
「どうにかなるさ」はここでは通用しない

ホテルに着いたのは現地時間の21時過ぎ
夕食はホテルのレストランで初イタリア料理にワインで乾杯

すでに明るいイタリアの歓迎を受ける人も
ホテルのスタッフにツンツンした人はおらず皆さん明るい

自転車は翌朝組んで準備完了
段ボールやシーコンは最終日もこのホテルなので倉庫で預かってもらう

このメンバーで6日間イタリア北西部を走る。
昨年参加の東京の松澤さん(川田さんの元上司)と岐阜の大久保さん、初参加の沖縄のバイスクルキッズ店オーナーの大城さん、滋賀のサイクルショップオーナーのフカッチさんと、今回初めてお会いした大阪のMさんの定員枠6名となる。フカッチさんとMさんはACEさんからロードバイクをレンタルし私たち4人は輪行。南フランスから5時間かけて来られたルイさん運転のRenault Traficでこれからジロを追う。

自転車はルイさんと川田さんのを含めて8台
ボルボのトレーラーに7台と車載1台で運ぶ

短期間の滞在で
あれもこれも詰め込むのはよくないので
こんな息抜きのサイクリングが大切
残雪のアルプスと古い教会の景色へ行ってみよう
FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2018/06/03(日) 11:34:31|
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101回大会となるジロへ5月22日から行ってきた。
目的は、第101代マリア・ローザを決める18ステージから始まる3連続山頂フィニッシュを自走で上って観戦することと、サイクルフォトグラファーの砂田弓弦さんにお会いすること。それにブドウ畑の景観が世界遺産に登録されているランゲ地方のアルバの丘陵地帯や、コモ湖周辺からギッザロ教会までサイクリングすることだ。もちろん、食の宝庫のイタリアだけに地元に人気のレストランでの食事や、歴史あるサイクリングロードを走ってみることも体験したいと思っていた。

また、スポーツ自転車として世界の流れとなっている電動アシスト自転車“e-bike”にも興味があった。昨年に続いてツアーガイドでお世話になった川田さんが、マウンテンバイクのe-bikeから、今年は写真のBOSCH製400Wバッテリー搭載のラピエールのクロスバイクに導入され、その進化を確かめるいい機会となった。
マウンテンは趣味のダウンヒルを楽しむためアシストを使っての上り用とされていたが、そのパワーは昨年友子さんが乗って十分なポテンシャルを目の当たりにした。ステルビオ峠の手前、ウンブライルパスの別れ道の有名観戦ポイントまで私と一緒に景色を楽しみながらの往復40キロ強を、20%弱の充電を残し峠越えのサイクリングを楽しむことが出来た。
しかし、川田さんが仕事として使うには、ロードバイクに遅れることなく先頭を切って峠越えの長距離を走る必要があり、フロントサスが無いため軽くてタイヤも細いクロスバイクの選択となったようだ。これについては一緒に走った上りにおいて、途中から到底付いて行くことが出来ないパワーには圧倒された。イタリア語でマッターホルンを表すチェルヴィニアへの麓から上る往復62キロ、獲得標高1600mの峠では、20%の充電を残し軽々と走られ、頂上では周りを見渡すと4~5台に1台はe-bikeだった。自走で峠越えができる人たちだけでなく、力のない子供や女性、年配の人までアシストして同じ感動を得ることができるのが世界基準のe-bikeだった。
ということで2018年ジロ・デ・イタリア遠征の記録は追々紹介していきたい。
FLUCTUAT NEC MERGITUR
--- 漂えど沈まず ---
- 2018/06/01(金) 13:39:48|
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